大学は何らかの専門性を高める機関であってほしい。ー大学で何を学ぶ?

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こんにちは。関根(@sekinesulog)です。

今回の記事は少しばかり趣向を変えてオピニオンを発信したいと思います。笑

 

さてさて。大学、という場所には色々と思うことがあったのでそのことについて記事化しておきます。

 

大学で専門性を磨けなかった大学一年生

 

私はこれまで何度も書いていると思いますが、大学一年生の時は楽しい時間を過ごしていました。

スカッシュでインターカレッジにも出させていただいて、さらに大学生になって遊びの幅が広がったこともあり、一年間舞い上がっているような自分がいました。

そもそも、私が大学に来た理由というのもなんだか曖昧なもので、最終的に私が法学部に進学を希望したのも「潰しが効くから」というクソみたいな理由で進学しています。

そんなような大学生であった自分にとって「法学部で受ける授業」は何だか違う言語の世界のような授業であった記憶があります。

 

言っていることは分かるけど、何だか釈然としない。

しかし、釈然としないけどそれ以上を求めない自分。

 

このようなモチベーションでは「専門性」など身につくはずもなく、時間ばかりが過ぎていきました。

 

ズルズルと時間が経って、大学で受ける授業に大きく分けて3つほど疑問を抱くことになります。

 

「これ、役に立つのか?」という疑問

実際に教えてほしいのは「学説」等ではなく、これから必要であろう手続きや、今後訪れるであろう問題点。

離婚だってするかもしれない。

相続で揉めるかもしれない。

刑事事件で告訴されるかもしれない。

そういった時に、何を論点とし、何が必要なのか言えるようになる。

私はそれが「専門性」であり、「法学部生としての身だしなみ」だと考えていたのです。

法学部の授業を通して「論理的思考力」を身に着けようとか、そんな事は二の次であって実際に立ちはだかった問題に大学で身につけた力を使って、問題を精査し、論点をキレイにする。

当然、学生程度の知識では問題の解決をすることまではできないかもしれませんが、専門家のつなぎをしていく、という意味では立派な成果だし、問題解決までの時間を短縮できるものだと思います。

 

私はそういったどちらかというと「実務寄り」の授業を受け、自分なりにどう法学部生として問題と向き合うことができるのか考えてみたかったものです。

 

そのような積み重ねをしていって初めて、自分が実際に問題にぶち当たった時に行動できるものだと思っています。

 

 

学んだことが世間的に不透明である

文系の場合は全般的にですが、学部生が「研究成果」なるものを残すことは非常に稀であります。(私の世間というものが狭いだけなのかもしれませんが・・・・)

対照として理系の場合は、学生が特許を取得したりしている方もいらっしゃいますね。

 

要は何が言いたいかというと、例えば「学部の授業で頑張った事」が世間の人の評価にあまりつながらないのです。

別に授業頑張ったからといって法学部に関して言えば「資格」がもらえるわけではありません。

まぁ、学芸員とか、教職とか、そういった資格は当然余剰な単位を取得すれば可能ですが、法学部の法律系の授業を頑張ったからと言って司法書士や行政書士の資格が手に入るわけではありませんね。

 

別途、国家試験用の勉強をし、予備校に通ったりして、国家試験に合格して初めて資格を取得できます。

そこまですれば流石に面接等の場面では「司法書士の資格を取りました!」とか、「行政書士の資格を取りました!」とか言うことができ、多少なりとも評価に繋がるものと思いますが・・・

「法学部の勉強がんばりました。」と面接で言っても多分、「じゃあなんか資格持っているの?」と聞き返されて終わりです。

 

これでは学部の勉強を頑張るモチベーションが下がるのは当然のことで、それならば内職して資格試験の勉強でもしているほうが効率的に面接を突破することができます。

 

当然、資格の勉強、学部で学ぶ勉強とでは様々な価値の違いがあるものであることは知っているつもりですが、時間に追われていればいるほど効率重視になることも自明です。

 

結果として学部の授業の優先順位は下がっていきます。

 

 

一般教養を学ぶ意味

教養として「宇宙科学」とか私も勉強した記憶がありますが、大学という専門性を磨いていく機関で一般教養は必要なのでしょうか。

確かに一般教養の勉強は面白いし、興味深い内容もありましたが、大学でやる必要ある?と思うことも多かったですね。

しかし、今になって「専門以外の知識」の大切さは身にしみているので、必要だったのかもしれませんね。

 

法学部でTPPの問題点とかいいところとかは教えてくれなかったわけですし、アイヌの歴史も何となく一般教養を通してわかったこともある。

うーん。今にして思えば完全に廃止する、というのはやりすぎかなという考えも持てます。

 

ただ、学部生時代は必要性に疑問を抱いていた事は事実です。

単純になんで専門以外やる必要あるの?という疑問です。

仲間内で愚痴ってもその答えは誰もくれませんでした。

これからもこの論争は続くのかもしれませんね。笑

 

 

 

大学で何を学ぶか。

 

さて、私は上記のような疑問を経て、「大学で何を学ぶか」という問を改めて大学二年生になったことをキッカケにすることになります。

その当時は随分悩みましたが、やはり「法学部に来た証」があれば、とりあえずは納得して卒業できるものだと考えました。

資格については、正直何を取るべきかあまり考えていませんでしたが、短絡的に司法書士受験生の友達が居たために司法書士を志すことになりました。

 

結果として、在学中に苦労はしましたが取得でき、満足して卒業していくことができました。

 

 

これまで色々なことを学んできて、

「大学で何を学ぶか」という問に対してぶっちゃけ未だに答えは出ていませんが、一つの基準は持てました。

 

それは「著書一冊分書けるくらいの何かを身につけること」ですかね。

 

私は「司法書士試験」に関して考えたことや苦労した事ならば、多分一冊分は余裕で書くことができるかと思います。それだけ色々な事を経験しましたし、考えてきたと思います。

それはある意味専門性であると言えるでしょう。

 

別に専門性については色々な物で良いと思います。

軽音サークルでの活動だって、映画研究会の活動だって、一冊本が書けるレベルで様々な活動をして学んだことを表現できるならば、それは立派な専門性であると言えると思います。

まぁ、それはそれで大学としての教育機関の立場が危うくなってきますが、大学を「専門性を身に付ける機関」と捉えるならば間違いではないのでしょう。

 

 

まとめ

 

大学という機関に対しては、私はよく悩んでいました。

疑問も多くあり、反発もありました。

そんな中でももがいて、「大学でこれを勉強したぞ」と言えるものが一つできたことは良かったことでした。

 

大学に絶望している方は結構いるのかもしれませんが、それはそれで勿体無いことかと感じます。

大学で与えられる4年間は何らかの専門性を身に着けていくのに十分な期間だと思います。

そんなに悪いところじゃないですよ。

 

一つ、考える切っ掛けになれば、と思います。

 


大学で何を学ぶか (ベスト新書)

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