私の体験談を少し話します。
私の1年目の司法書士試験が悲惨な結果に終わったことは、合格体験談にも記載しましたが、その原因になったことを今考えてみると
「覚えられなかったこと」
です。
1年目の勉強は、LECの春生でやっていたため週3だったこともあり、特に年明け以降はマイナー科目が押し寄せてきて、何から手をつけて良いのか分からない状況になりました。
すると、今後のスケジュールも気にしないし、復習の予定も組んでいないし、ととにかくその日暮らしのような感じになっていきました。
方法論も何もなく、ただテキストを読むだけ。
テキストを読み終わって満足した後に、今日勉強したことを思い出してみます。
少々思い出せることはあっても、ほとんど覚えていないような状態でした。
長時間勉強しているはずなのに何も覚えていない。これでは合格できるわけがありません。
対して、そんな私がよく記憶に残った勉強法というのは、「とにかく説明すること」です。
2年目の後半は特に全ての科目でこの勉強スタイルに変更しました。
当然覚えていない科目、知識が不安な科目はありましたが、「覚えるために」説明するのです。
説明をするためには、テキストを見ながら説明しても私の場合は上手くできないことは分かっていたので、問題集というか、説明するための資料のようなものをつくってテキストを網羅して説明できるようにしていました。
このことを色々な人に話すと、非効率なことするね、とか、まぁ言われてきましたが、私はテキストだけ見ててもカンニングしているような気持になるので、それならば気持ちよく説明するためにできることをしていたほうが良いのです。
なにより、問題を作問するのは楽しかったです。自分がどこまで説明できるのか。意地悪な問題を作ってみたり、時にはサービス問題のようなものがあったり。
作問というほど大げさなものなのかは微妙ですがね。笑
説明をするときは、とにかく全く覚えていないものはイメージであってもいいから思い出すようにしていました。
とにかくなんでもいいから思い出す。その問題とは直接関係ないことも思い出す。似ている知識も思い出せるだけ思い出す。
そうしていくことで気がつけることは多かったです。
たとえ覚えていないものであろうと、こうして色々思い出すことによって、しっかりと暗記する際の手助けにもなりうるかと感じます。
上記のそれぞれの勉強法を比較してみると大きな違いがあるような気がします。
それは「受動的」か「能動的」かの違いかと思います。
テキストを読むだけなのは、与えられた情報を受け取るだけ。
自分から説明するのは、自分なりに情報を生みだす行為。
自分から絞り上げた知識はやはり体に染み付くのでしょうかね。
もしも、「今日、沢山勉強したのに、全然覚えてないな」と感じる方は、今すぐ自分のスタンスを変えるべきです。
似非でも、嘘でもいいからそれならば説明した方が私はいいと思います。
多分、そうした方が記憶に残るはずですから。
私はアウトプットはインプットも兼ねていると考えております。
それでは、今日はこんなところで。
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