多分この回で合格体験談については終わらせることができるかと思います。
1年目の試験を終えてどうなったの?
私は、司法書士試験という高い壁を初めて思い知ることになりました。
大学の同級生にはなんと試験の結果を報告すれば良いのか分かりませんでしたね。
口を濁して「やっぱダメだったよ。笑」なんて言っていたような記憶があります。
勉強も、始めた頃は順風満帆で、自信たっぷりだったのに、改めて不合格という烙印を押されて自分を見直すことになりました。
「俺はできない奴なんだ・・。」と痛感しました。
私はメンタルが弱い人間だったので、すぐに本格的な勉強をすることはできません。
独学で勉強するという選択をすることができなかったので、再び親に頭を下げてラストチャンスということで、週1日コースの中級者コースに通わせてもらうことになります。
親に甘えまくっていたさすがの私も、これはまずいなと思ったのか、バイトをして10万円位は返そうと決意しました。
バイト経験の殆ど無かった私はどのバイトをしようか悩んだのですが、一人暮らしの経験もなかったので、「擬似一人暮らし体験がしたい」ということで、リゾートバイトを選びました。
リゾートバイト先、というのは遊園地でしたがこれがまた面白いわけですね。笑
バイト先の宿泊施設は、そこそこの田舎で自然が多く、バイトに来ていた大学生も多かったため、遊びには困りません。
私は、バイト先で仲良くなったメンバーで、毎日のように部屋飲みをして、遊園地で遊んで、祭りに花火大会、カラオケ、肝試し(企画倒れ)など色々、夏休みらしいことをしていました。
バイトの仕事自体は結構な体力仕事でしたが、汗を流すこと自体は嫌いではないので、毎日仕事を終えた後の充実感で一杯でした。仕事を終えた後にもバイトの友達と遊園地でジェットコースターに乗ったりできたので、バイトを嫌々やっている感覚はあまりなかったですね。
こうして、夏休みの期間の殆どすべてを遊園地でのバイトに費やしましたが、ある意味「究極の接客業」を体験でき、尚且つ、「一生の友だち」を私は得ることができました。
リゾートバイトに行っていたおかげで1ヶ月ほどあまり勉強をしない期間はありましたが、その期間で心の療養をすることができたのは大きかったのかもしれません。
リゾートバイトから札幌に戻ると、週1日の講座はすでに始まっており、1週遅れで受講することになります。
週一日の講座、いわゆる〈夏生〉と呼ばれていたのですが、この講座は講座と呼んでいいものなのか、ほとんどが「今までの知識の確認」をする講座です。
週一日のかわりに予習前提でめちゃくちゃなスピードで進んでいきます。
どれくらいの速さなのかは民法が一瞬で終わったくらいだったので、容易に想像できるかと思います。
しかしながら、今まで週3日の講座を受講してきた私にとっては非常に楽なペースではありました。
ようやく羽を伸ばして勉強できる状態になったのです。
今まで、時間ばかりかかるからと敬遠していた「条文」の勉強をしました。
やり方としては、とりあえず、テキストに載っている条文はすべて読むことにしました。
この条文の読み込みで気がついたことは、勉強を開始した時は全然読めなかった条文が簡単に読めるようになっていたこと、過去問は意外と条文の原文のまま出題される問題もあること、条文知識だと思っていたものが実は判例であったこと・・等などです。
条文をしっかり読んでいる人からすると上記のようなことは「ありえない」のでしょう。しかし、週3日のコースで条文、過去問、テキスト、講義、とそれらすべてをこなすのは至難の業で、私はテキスト派だったため、条文はあえてあまり読まないようにしていたのです。
今思うと、1年目でも、復習のサイクルでうまく条文を読む時間を作っても良かったのかなと感じています。
そして、時間のある時に「不動産登記法の択一」のテキストを読みました。
このタイミングで読んだのは良かったかもしれません。書いてあることも理解できました。
1年目を不合格に追いやった科目でもあったので、気合は入っていました。
私は、週一日の講座のペースが合っていたのか、とても気楽に自分のやりたい勉強のみできるようになっていたことが一番良かったことです。
しかし、気が緩んでいたのか、書式に関しては放置気味でした。笑
この時期に多くの基礎問題を解いていればもっと楽に合格できたんでしょうね。
意外と順調そうだね?
これがそうでもありません。
気楽に勉強していたのが、いつしか「楽に」勉強をするようになってしまったのです。
気楽と楽には大きな差があります。
要は私に「サボり癖」がついてしまったのです。
これはある程度長い期間勉強している人間には共通問題になるのでしょうけど、やはり、人間長い期間自分を追い詰めて勉強することは難しいことです。
どうしても楽な方向に流れていきます。
私が「勉強したくない状態」になったのが、確か11月くらいでした。
1週間なにも勉強せずに、週末の講座だけ受ける週もあったくらいです。
これはひどい。
このとき、父親に再び怒られることになります。「お前、また繰り返す気か?」と。
父親の病気は悪化の一途をたどっていたので、申し訳ないと同時に、自分の立場を考えなければならないと思うようになります。
そして、12月。
やる気が完全に戻ったわけではないにしても、毎日勉強はしていたと思います。
この時の私はとりあえず、自分の弱いなと思う部分を勉強していた感じで、マイナー科目を結構やっていました。
書式は相変わらず放置気味ですね。笑
「雛形」だけは忘れないようにしようと思っていました。いやもっと問題解けよという感じなのですが・・・。
気がついたら年明けの鐘が鳴っていました。
感想としては「今年もはやかったなぁ」の一言で終わり。
そうして、「受験の年になってしまった。」と不安になったのも憶えています。
しかし、この年明けの休みで転機が訪れます。
転機って?
不安になってきた私は「受験までの計画」を作ってみたのです。
これから勉強すること、受験までに残された時間、模試がはじまったらどうするのか、計画通りにすすんで、いつ合格レベルになれるのか、点数の伸びは・・・、等など、色々考えて計画を作ってみたのです。
受験勉強を始めた時のようなワクワク感を私は感じました。
この「作戦会議」の時間はとてもおもしろく、綿密な計画を練りました。
計画を作ってみたことで、一日のノルマを割り出すことができ、目標が明確になりました。
そして、「意外と時間が多く残されている事実」に私は気がつくことができました。
今まで、灯台の無い中で船を漕ぎ続けていたのが、急に光によって照らされた道を見つけることができたのです。
私は、俄然やる気になり、「あ、今年合格できるわ。」と何故か、根拠が無いにも関わらず信じることができました。
計画の始動は2月。それまでに計画の修正を行ったり、大学の定期テストの勉強をしたりしました。
そして2月。ようやく私の司法書士試験、第二幕が始まります。
2月はじめの成績とかはどうだったの?
私は、2月はじめの模試の成績は「E判定」でした。
は?E判定?と皆さん思われたと思いますが、全くの事実であります。
しかし、私は「計画通り。」と某ジャンプコミックスのキラ様並みの笑顔を浮かべていました。笑
そして、記述の答案用紙には、講師に宣戦布告をするかのように「僕は、今年合格すると思います。」とボロボロのアホみたいな答案の「登記できない事項」の欄に書き込んでいました。
先生からの返答は「ポジティブなのはいいことだぞ!(笑)」と(笑)が気に食わなかったことを憶えています。
なぜなら、私は本気で合格することを信じていたからです。
言っていなかったですが、私の計画というのは、大まかに言うと、「模試に合わせて、出題される教科すべて回す。」というものです。
非常にシンプルで、模試の度に出題される教科を回しきれば受験までに相当な数を回すことができるのは事前にわかっていました。
じゃあ、回すってどうやんの?ということですが、2月~4月までの期間で、民法を除く全ての科目で「自作の問題」を作り、4月~7月までの期間ですべて説明できるようにする、というものです。
普通の考えからしたら常軌を逸しているのですが、私にとっては最良の作戦でした。
この考えの根本にあるのは「教科書の内容すべてを説明できるようになれば受かるんじゃね?」という考えです。
民法は、結構勉強していることもあり、かなり説明できたので既存の問題集を使うことにしましたが、後の教科はすべてオリジナル問題集です。
まぁ、問題とは言っても「説明させる」だけのものなので、問題と言って良いのかわかりませんが・・。
2月から4月はじめまでは、模試に合わせて上記のような問題集を作り、記述に関しては基礎問題ばかりを解いていました。(記述に関しては5ヶ月間毎日問題を解いていれば合格レベルになる算段です。)
私の成績は、4月~7月にかけて大幅に上がると読んでいました。
2月~4月はまぁ、いいところでD判定だろうなと思っていたのですが、嬉しい誤算で、3月中旬からはすべてC判定まで上がっていました。
何故上がったのか、自分なりに考えてみたのですが、「問題をつくる。」という勉強は私にとって非常に新鮮な勉強だったからかも知れません。
また、この勉強に対してこれまで以上に真剣に向き合っている私が居ました。
終わりの見えない勉強ではなく、日々ノルマ制にしたのは私の目的意識を駆り立てます。
「今日はこれだけやれば受かるんだ。」と信じることができました。
そうして、4月になりました。
4月以降は私の中で「永遠のアウトプット月間」という造語で呼んでいました。笑
計画通り模試に合わせて私はアウトプット(問題解く→教科書で確認)をしつづけ、成績は常に上がり続けていました。
この試験は正確な記憶があればあるほど有利なんだということを肌で実感しました。
模試も、当然受けっぱなしにすることはなく、間違えた箇所の知識が教科書に載っているものは、すべて該当箇所に紫色のマーカーをつけることで、アウトプットするときに同時に復習できる体制にしました。(紫色だった理由は、「間違えた感」があるからですね。笑)
模試でも、教科書にも載っていないようなものはスルーで問題ありません。合否を決するのは別の場所にあります。
このような勉強をしつづけ、5月の中旬でも、私の点数は相変わらず上がり調子でした。
この頃になると、自分の中で「嫌だな」と思う知識をまとめるようになります。
あるんですよね、いくら説明しても気持ちが悪い知識って。
それらをすべてコピーして、ルーズリーフの穴あけパンチを購入し、一冊の本にしました。
その本を移動時間で常に確認するようにしました。
この勉強の結果、苦手な知識は殆ど克服することができ、6月のはじめの模試では遂に、S判定を取ることができました。
もはや、合格することは確信に変わっていました。
このまま成績が上がり続ければ間違いなく、試験日には最高のパフォーマンスができるだろうと思いました。
5月後半、6月からの勉強は非常にキツイものがありました。
1週間で11科目全ての問題を解いていました。頭おかしいですね。
朝7時から勉強始めたかとおもいきや、終わりは夜の1時とかザラにありました。
このとき、何も思うでもなく、自然と涙が出るという現象がおきます。
私は、このような状態を「セルフブラック企業」と呼びました。
ダレる期間もありましたが、成績は相変わらず上がり調子で、記述も問題は特段ありませんでした。
模試の分析をとおして、憲法と民事訴訟法の点数だけが安定していなかったので、それらの過去問をすべて洗うことにしました。
最終週に全ての自作の問題を回し、終わった時に、「これで終わりだ。」と安心しました。
そして、受験当日は?
受験当日は、とても気持ちの良い天気だったことを憶えています。
気持のいい風と、気持のいい気候。
気象さえ自分の味方でした。
受験会場には母親に送ってもらったのですが、リラックスして話をすることができていました。
敗北感のあった去年とは大違いです。
緊張はとてもしていましたが、大会に向かう前のような気持の良い緊張感です。
そうして、ついに受験が始まりました。
問題をとき続け、疑問に思う問題もあまりなかったので午前の基準は間違いなく突破している確信がありました。
午後試験に苦手意識が無いタイプだったので、昼休みは気分良く過ごせました。
午後試験も特段問題はなく、全ての問題を解き切った時には15分ほど余っていました。
多分、平成27年度の午後試験のなかではかなり速いタイムで解き終えたんじゃないかと思っています。
15分間はあまり見直しはせずに、とりあえず名前ちゃんと書いているか、書式で変なミスしてないか、などを確認して、安堵感で一杯でした。
こうして、私の受験勉強は終わりを告げました。
私の平成27年度の点数は
午前 32(35問中)
午後 27(同上)
記述 すべて書いた 不当はあまり問題なし、商業の募集株式積極
というような状態で、合格するかは実は微妙だったのですが、ちゃんと合格していました。
私の最も大きな後悔は、1年目に合格できなかったことです。
なぜなら、父親に合格発表の知らせを伝える8日前に逝ってしまったからです。
未だに悔やんでいます。なんで去年はあんな状態になってしまったのか・・。もっとやっておけばよかったです。
父のような立派な士業の人間になれるよう努力していきます。天国で見守っていて下さい。
その後、2次試験も無事に突破し、司法書士登録(平成28年6月)もしました。
「在学中に司法書士資格はとれる。」と私は、本気で信じ続け、計画を練り、努力をした結果、本当に取ることができました。
大学生でこの資格を目指している方には色々な不安があるでしょうが、まずは自分を信じてみませんか?
計画を作ってみれば、世界が変わって見えます。
長くなりましたが、指も疲れてきたのでそろそろこの辺で。
ー 合格編 以上
独学者オススメ通信講座↓↓
[…] 続き → ー 合格編 […]
[…] […]